
ホリエモンこと実業家の堀江貴文さんがXを更新し、少子化の原因について言及されていました。
金銭的な不安が子どもの産み控えを加速させているという説を否定し、「少子化の原因は国が豊かになって子育て以外の楽しみが山のようにあるから」とのこと。
果たしてそうなのか?勝手に熟考してみました。
おっしゃる通りです!
いや、もう、モーレツにその通りだなーと思います。
もちろん、金銭的な不安も完全には否定できません。本当に、子どもを育て上げるにはお金がかかります。
金銭的な不安を払拭するには共働きをするしかなく、それは仕事と育児の両立という超多忙な日々を想像させます。
近年ではその想像の解像度も高いことでしょう。
どの職場にも育児と両立しているママ社員さんがたくさんいるはずです。保育園から「体調不良」の連絡が入って飛び出していくママの姿を日々誰もが目の当たりにしています。(翌日に職場でぺこぺこしている姿も…)
職場への後ろめたさを抱えながら働き、稼いだお金の大半は子どもや家族のために消費(あるいは貯金)し、帰宅後も自分の時間などありません。
熱烈な推し活をしている人も、育児 × 仕事 × 推し活 はさすがに難しいでしょう。「子育て以外の楽しみが山のようにある」ということ自体に加え、子育てを始めるとそれらに使う時間とお金を失う、失う覚悟が必要になる、というわけです。
たしかに、それはもう、次世代は憧れないだろうなー、と思うばかりです。
これだけ世の中に楽しい娯楽があれば、お金と時間をそこに費やしたいと思うのが自然です。
失うものが大きくなった
「娯楽」と比べるまでもなく「子育て」は大変です。
楽しいとわかっている「遊び」を捨て、大変だとわかっている「子育て」を取る。確かに、狂気でしかありません。
堀江さんの言葉を裏返し、「国が豊かになる前」の「楽しみが山のようにはない」という時代なら、「子育て」を取るために捨てるのは「退屈な日々」です。狂気ではありません。
子育ての大変さはどの時代も変わりません。むしろあらゆる便利グッズや制度のおかげで改善されたところもあるでしょう。ただ、失う方の大きさが変わったんです。
「娯楽」の質と量が増えたんです。豊かになったんです。子どもを産まなくても退屈ではなくなったんです。好きなこと、やりたいことが、無限に湧き溢れてくるんです。それらを「守りたい」んです。「捨てる」勇気がないんです。
やっぱり、自然です。至極当然のことです。
子育ては大変だと人々は言う
子育ての大変さはどの時代も変わらないと言いました。むしろ改善されているかもとすら。
しかし、改善していく過程で、改善の必要性を大袈裟に語る必要性もありました。
父親の育休を普及させるには、産褥期の大変さを語る必要があります。子育て世代にお金をばら撒くには、子育てにかかる費用がいかほどかを説明する必要があります。
(命の大切さを教えるために、出産は鼻の穴からスイカが出るようなもん、と教育するのもやめてほしいです、怯えるから。※少子化の元凶です!)
少子化対策として、子育てに適した環境を整備しようとして、子育て世代のための制度を作ろうとして、子育ての何が大変かを洗い出して、いかに大変かを力説して、社会や会社に理解を求める。
その「理解」がそのまま「恐怖」になってしまってはいないだろうか。「子どもを持つ」ということが、国や社会や会社から手を差し伸べてもらわないと生きていけないほどのハンデ、と思われてしまってはいないだろうか。
「娯楽」という失うものが大きくなり、それと引き換えに手に入れる「子育て」の大変さまでも大きく想像してしまうようになっては、少子化まっしぐらです。
「大変だよね」「大変なんだよ!」「でも整えたよ」「だからもう安心して産んでね」と言われましても…です。
散々脅しておいて…です。
子育てだって楽しい!
堀江さんに対して「子育てだって楽しいんだ!」と反論されている方が散見されます。半分は同意しますが、半分は否定させていただきます。いえ、全面的に同意しますが、全面的に否定しますと言った方が良いかもしれません。
「子育てだって楽しい」については全面的に同意しますし、これから「子育ての楽しさ」を熱弁するつもりです。しかし、堀江さんもそれに同意のはずなので、「反論する」という姿勢を全面的に否定させていただきたいのです。
というのも、堀江さんはとても優しい表現をされていました。「子育て以外の楽しみ」と。つまり、子育ても楽しみの一つにカウントはされています。それをわかった上で発言されていると思います。「他にもある」というだけです。
そこまで汲み取らずに反論している親世代を見ると、「必死だな。大変そうだな。」となるので今すぐ控えていただきたいくらいです。その必死さ、痛々しさこそ、次世代が純粋に憧れられない原因の一つだと思うからです。
そうです。少子化の原因は「憧れられない」にあると私は思います。
「子育て以外にも楽しみが山のようにある。聞くところによると子育てはとにかく大変らしい。得るものよりも失うものの方が大きいように見える。むしろ楽しみを売って大変さを買うような狂気の選択なんだ。」
というイメージこそ、産み控えの原因なのではないでしょうか。
いや、そもそも産み控えの原因が一つなわけがありません。娯楽が増えすぎたことだけでも、金銭的な不安が付き纏うことだけでもないです。もっと、「漠然とした何か」だと思うんです。
その「何か」は、産み控えしている本人たちにもわからないのではないでしょうか。
「なんとなく、重いわー」みたいなやつです。「今はちょっとまだ…」とか、「子どもが欲しくないわけではないんだけど…」とか、「いつかはねー、うん」みたいなやつです。
今すぐ、喉から手が出るほど欲しい、煌びやかな物ではない。そんなイメージだと思うんです。
だからこそ、もっと穏やかに、でも力強く、子育ての楽しさを伝えていきたい。子育てって楽しそうだな、と憧れてもらいたい。そう願うわけです。
フォロワーがただの一人もいない私に何ができるか?答えは簡単です。何もできません。
でも、やってみます。超大声で超長文の独り言をかまします。誰よりも痛々しいと自覚しながら…
子育ては娯楽ではない
子育ては、確かに「娯楽」ではありません。苦痛も我慢も伴います。でもただの「苦行」でもありません。間違いなく、「楽しみ」の一つです。
私は過去に、全く同じようなものと出会ったことがあります。それは、「青春」というやつです。
あの頃、周りには「娯楽」を存分に楽しむ友人もたくさんいました。たまたま同時期に学校の近くにラウンドワンができたこともあり、みんな今日はカラオケ、明日はボウリングです。憧れないわけがない。バイトも心底羨ましかった…
その頃の私はというと、それら全娯楽を手放し、憧れのバイトも我慢し、全てを部活動に捧げていました。辛いトレーニングを重ね、怪我のメンテナンスをし、四六時中その競技のことだけを考えて生きていました。
報われるかもわからない、むしろあらゆるものを投げ捨てているだけのようで、「これになんの意味があるんだ?」と何度も悩みました。
でも、その答え合わせができる日まで時が経って知ったわけです。たしかに報われはしなかった、目標は叶わなかった、でも、あの頃の自分が一番輝いていた、あれが「青春」というやつだったんだ、と。
その選択は、一点の曇りも無く、正解だった!胸を張ってそう言えるわけです。
「楽しみ」とは何?
ここで一つ謝らなければいけないことがあります。
堀江さんは「楽しみ」と表現されているのに、その部分を私はここまで「娯楽」という語に変換して語ってきました。そして「娯楽」を超越するものとして、「青春」を対抗馬に置きました。
正直に申し上げますと、これは悪意です。伝えたいことを伝えるためのすり替えです。謝ります。
しかし、意図はあります。
人生における「楽しみ」について、個々の基準でしっかり考えてみて欲しいんです。「娯楽」と「青春」の違いについても。
例えば、堀江さんほどの財を成した人なら本来はもう仕事なんてしなくていいんですよね。仕事がつまらないものなら、今すぐ一刻も早く働くことをやめて、死ぬまで娯楽だけに全てを費やせばいいんです。なんと言っても、山のようにあるんですから。お金も、娯楽も。
でも、堀江さんはそうはしません。とてつもない熱量をもってビジネスを継続、拡大されています。きっと、堀江さんクラスになると、あの領域まで行くと、山のようにある娯楽なんかより、仕事の方が刺激的で楽しいはずだからです。
「楽しみ」を「娯楽」と「青春」に分けるなら、堀江さんは「娯楽」なんかには没頭せず、「仕事=青春」に賭けているのではないかと思うわけです。でないと、あれだけの財を持って働き続ける理由が説明つかないんです。
一般的には、いや、少なくとも私にとっては、「仕事」は「苦行」でしかありません。許されるなら、仕事などせず、生涯遊んで暮らしたい。
だから、理解できません。億万長者が仕事をし続ける理由が。
「楽しみ」と一口に言っても、その中身は人それぞれ。「娯楽」より「仕事」を取る人すらいて、「仕事」を何より楽しいと言う人もいる。誰よりも忙しそうに見えても、ご本人は「これこそ生きる意味」と感じているかもしれないわけです。
だからまず、皆様にとっての「楽しみ」が何なのか、フワッとではなく深いところまで考えてみてほしいところです。
そして、もし叶うなら、堀江さんに聞いてみたいです。「堀江さんにとって、仕事と同等レベルの楽しみも、仕事以外に山ほどありますか?」と。
※堀江さんの言う「山ほど」は、「一個人が多くのものを楽しんでいる」という意味ではなく、「多くの楽しみが転がっている今の時代、誰にだって楽しいと思えることが子育て以外にも一つくらいはある」という意味かもしれません。
確かに、「娯楽」なら山ほどある
堀江さんが娯楽だけに走らず仕事を続けられるように、単なる「娯楽」は、やっぱり「娯楽」でしかないと思います。確かに山のようにはあるのですが。
もちろん楽しいですし、息抜きにもなります、結局のところ最高なんですが、それは飽くまで「暇つぶし」に近い感覚です。
「生きている実感」とか「爆発的な達成感」とか、そういう「煮えたぎる熱い何か」とは少し異なるものと思います。
とはいえ、「娯楽」も突き詰めればその先に辿り着きます。熱烈な推し活とかもそうでしょう。
全時間、全資金を推しに賭けても悔いはないでしょうし、例え報われなくても、推しからの見返りがなくても、それで構わないわけですよね。
報われる保証すらない1つの目標に向けて全力を投じるやつです。すごい大きな投資をもって、たった一つのかけがえのない体験を得るやつです。いや、時に何も得られないやつです。これはもう、青春です!
あなたの全人生です。もう「娯楽」とは呼べません。真の「楽しみ」です。すでにそれを見つけている方は、大切にしてください。
ただ、そこまでのものを見つけられず、ただ娯楽に身を投じるというのは、少し寂しい気がします。
大人の青春、始めればいいのに…。と思う次第です。
子育ては、青春だ!
よくもまあこんな恥ずかしいことが言えるなと我ながら思いますが、何度でも言えますよ。
子育ても、青春です。
自分の命より大切なものができるんです。なんだって犠牲にできます。我が子の笑顔を見るためなら。
それはもう疲れ果てますよ。昼夜という概念すらない時期だってありますから。でも、我が子の寝顔を見れば吹き飛びます。
目も開かなかった子が、目が合うだけで笑うようになるんです。
ミルクしか飲まなかった子が、噛めるようになり、食べムラなんかも出てきて、好き嫌いなんて始めるようになるんです。
寝返りすらできなかった子が、ずりばい、ハイハイを経て、つかまり立ちをし、歩き始め、走り回り、飛び跳ね、暴れまわるようになるんです。
おぎゃーもバブーも言えなかった子が、ママ、パパと呼ぶようになり、ありがとうもごめんねもマスターし、口答えなんか始めるようになるんです。
涙も出なかった子が、一日中泣くようになり、嬉し泣きなんかも覚えて、いつかは人のために涙を流すようになるんです。
隅々まで尊いんです。愛おしいんです。
基本、四六時中、満身創痍ですよ。あの頃の青春と同じです。身も心もボロボロです。我慢の連続です。筋破壊と超回復の繰り返しです。
そんな日々が全て、1大会の1試合のためだけだったりして、負けたら終わりと知りながら、それでも全てを賭けるんです。
パパなんて特に報われるシーンの方が少ないくらいですよ。いつもママがいいーと泣き叫ばれるだけで、傷つくことのほうが多いくらいですよ。
でもいいんですよ。報われなくたって、子どもの成長は、「子育て」は、熱くて、美しくて、感動的なんです。青春なんです!!!
あの頃の青春とは違う
若かりし頃の青春は、歳を重ねた後に「あれが青春だったのか」と知るケースがほとんどだと思います。
でも、今は違います。青春を一度経験済みだからわかるんです。「あ、これ、青春ってやつだ」と。
大変ですし、命がけですし、心配も不安も尽きず、愚痴ばかりで、疲弊しきってますが、意外と冷静に、「数十年後、人生で一番幸せだった時期を思い返そうとしたら、間違いなく今のこの瞬間なんだろうな」なんて思ったりしながら子育てをやってます。
これが今しかないことも知っています。あっという間にこの今が過ぎ去ってしまうことも知っています。だから一瞬一瞬を大事にしようと思ってきっとみんな子育てをやってます。
確かに子育て世代が集えば愚痴ばかりです。仕事との両立の難しさとか、パートナーの文句とか、ママ友関係とか、受験の悩みとか、金問題とか…。すごくしんどそうに見えるかも知れません。生きづらそうに見えるかも知れません。
でも、それは部活仲間たちと顧問の悪口とか今日のメニューの鬼畜さとかで盛り上がっているだけで、結局のところ同じ夢に向かって突き進んでるスタンスのやつですよ。恐るるに足りません。
「大変さ」が先行しすぎていますが、青春と同じで、その大変さすら尊いと感じられるものであるということを、次世代の皆様にわかっていただきたい。心底そう思います。
私は、子育てが「楽しみ」
私にとって「仕事」は「苦行」でしかないため、「余暇」や「娯楽」を手放してまで「仕事」に邁進するという選択肢はありません。それこそ狂気なんです。
でもきっと、「子育て」を選択できず「産み控え」をする人たちもきっと同じなんだろうと想像します。
「だって、大変なんでしょ?」って思いますよね。「もちろん、大変ですよ」って話にもなりますし。
「仕事って本当は楽しいもんなんだぜ」と言われても、「いやー、でも、仕事でしょ?」と思う私がいるのでわかります。
もっと言えば、仕事は「やりたくない」と思ってもやらざるを得ないので誰もが仕方なくやるでしょうし、そこで得たお金を娯楽にかけることもできます。
その点、子育ては「やりたくない」ならやらなくて済みますし、子育てを始めると娯楽にかける金も時間も失います。やっぱり狂気です…。
しかし、繰り返しになりますが、だからこそ、「青春」なんですよ。
娯楽では得られない爆発的な刺激があります。(もちろん、娯楽にはありえない負担もありますが)
我が子に対して「生まれてきてくれてありがとう」という感情を抱くのと同時に、自らに対し「生まれてきてよかった、生きてきてよかった」とすら感じ、さらに母に対し「産んでくれてありがとう」と心底思ったりします。
価値観が根底からひっくり返ります。冷水を浴びたような、鈍器で頭を殴られたような、過去に経験したことのない衝撃を受けます。
これまでの何もかもこの瞬間のための前座だったんじゃないかと思います。ここから先の未来が、その1秒1秒が、ありえないほど大切なものだと気付かされます。
隅々まで輝きます。潤います。生きよう!って思います。
「子どもを産むのが正義」と言いたいわけではありません、「子育てもなんだかんだで楽しいもんだよ!」と伝えたいだけです。
「言うほど大変じゃないよ」「ただ幸せなだけだよ」なんて甘いことを言うつもりもありません、「大変だけど、大変だからこそ、この上なく幸せだよ」と伝えたいだけです。
次世代の皆様、どうか、せめて、選択肢の一つに!!!